一番多い信仰は〇〇教。世界中ほぼ全員が入信するほど大人気。

まだ幼い頃、競わないことが好きでした。

というか、好きだったんだなということに、たくさん傷ついて大人になって気がつきました。

 

子どもの頃を思い出すと、みんなは駆けっこが得意に見えました。

だけど自分は駆けっこが苦手だと分かったので、運動会でビリになっても全く悔しくありませんでした。

 

友だちがオモチャをたくさん持っていても、

「わー、たくさん持ってるんだ〜」

と、観察した感想が出てくるだけ。

 

お友だちの方が自分より早くピアノの難しい曲に挑戦していても、

「あなたはその曲を弾くのね♪」

と、観察結果を伝えるだけ。

 

ところが。 

 

そんな競わない日々を堪能しつつ自分の人生を楽しんでいた5歳の私を、一気に変えてしまった出来事が起こりました。

 

それは、なんてことのない母の一言。

「悔しいとか負けたくないっていう気持ち、沸かないの?」

 

「?!」

 

あの時のことは今でも鮮明に覚えています。

その時、頭が考えたのです。

 

 

悔しいという感情も、負けたくないという感情も、生まれてこの方1ミリも考えたことがなかった感情でした。

 

「悔しい」って何だろう? 

 

ここが運命の分かれ道だったと、たくさん勉強して人生を巻き戻して、分析してみた今なら分かるのです。

 

この記事は「世界中のほぼ全員が〇〇教に入信している」という記事なのですが、まずは、「悔しい」にぶち当たった体験談にお付き合いくださいませ。

 

幼少期の選択

 

あの時、2つの選択肢がありました。

 

①「悔しい」って何だろう?とは思ったけれど、今までの自分の在り方が心地よいから深く考えなくていい。

 

それまで通り「へ〜、お母さんは、そんな気持ちを持ってるんだ〜」と、右から左へと聞き流す。

という選択肢

 

 

②「悔しい」って何だろう?と思うと同時に、なんか怖いけど興味が湧いてしまった!

お母さんも不思議そうに聞いてきてたし、

「悔しいについて意識してみよう!」

という選択肢

 

もちろん当時は上記みたいな語彙力はなかったけど、頭の中では上の2つの選択肢を持ち合わせていたんです。

①の方向か?

②の方向か?

そのどちらか1つを選択しようとしていました。

 

30歳を過ぎて

「なんだか人生がおかしい。歯車が狂っている。」

と気がついて、「自分」をいっぱい分析した結果、

私は①を選んでいれば自分らしい人生をずっと送り続けていたんだ…

という方向を間違えた事実に気がつきました。

 

けれど幼い頃の私は、なぜか②を選んだ。

たぶん、②を選べば外側に好かれる成長ができるような気がしたんでしょう。

 

それとも、あの時点で②を選ぶように計画してから、地球に来たのかな?

 

②を選択したのは直感だったけど、前へ進むための覚悟のような感覚があったことは覚えています。

成長しなければ。(外向きに)

全然ワクワクしなかったのを覚えています。

 

あの覚悟から約30年。

とっても長い暗いトンネルが続きました。

 

本当は競い合わないのが好きなのに、なぜか外側に好かれるような成長をするためには競い合う方向に動かなければならない気がして、ワクワクしないのに、なんか違和感があるのに、競い合う方へ運命を向け続けました。

 

  • テストの点数はみんなより高くなければならない。
  • 95点以上じゃなきゃ頑張ったと言えない。
  • 忘れ物はしてはならない。
  • 学級委員長は一度はやっておかなくてらならない。
  • 成績は常に良くなければならない。
  • 花型の部活に身を置いていた方がいい。
  • よい高校に行った方がいい。

 

②を選択して、「外向きな成長をする!」と覚悟したあの瞬間から、自分の気持ちはそっちのけで、外側の環境を崇拝し続けました。

 

何十年もの間ずっと…

 

ほぼ全員が信仰していた〇〇教

 

②を選択して自分ではなく外側に合わせた先には、大きな罠がありました。

当時(今から30年ほど前)の地球では、ほぼすべて人がある信仰をしていたのです!

 

それが『外向き教』

 

「自分の本当の気持ち」を大切にするんだよ〜という「自分教」というものも、当時から存在していました。

あったけれど、とても少数派だったのではないかと思います。

 

ほぼ全員が外向き(自分の外側)教だけを信じて疑っていなかったと思います。

 

お母さんや学校の先生や、お友だちたち、世の中全体が当然のように「外向き教」を信じて疑わなかったので、もちろん、当時の私も、もれなく「外向き教」を目指すようになり「自分の本当の気持ち」なんていう要素の存在はすっかり忘れていきました。

 

今思えば、

「自分の本当の気持ち」を守れるのは「自分」だけだったのに…

この肉体の中で唯一持っているオリジナリティだったのに。

 

②を選んだらどんな人生になったか?

 

②を選んだ私の小学生時代と中学生時代の9年間は、地獄のような長さでした。 

 

  • 授業が長い…
  • 5分の休み時間すら長い…
  • 1日が長い…
  • 1週間が長い……
  • 1年が長い……………
  • あぁ、まだ小学生が
  • あと3年間も続くのか…
  • やっと折り返しか…
  • 学校が嫌だ…

けれど、当時の私は、不登校は怖くてできませんでした。

 

  • どんなレッテルを貼られるか分からない。
  • 1日でも休んだら、それ以降行きづらくなってしまうかもしれない。

そうしたら「外向き教」的には、その後の人生が救われることはない気がしました。

 

例えば、

  • 良い高校に行けなくなるかも。とか。
  • ただでさえ嫌な学校で、友だちすら居なくなったらさらに地獄だ。とか。

6年間の小学校が終わった時に抱いた希望は、「あと3年我慢すれば自由の身だ。」ということでした。

 

しかし、この「希望」というのも外向きなものなので(詳しくはまたいつか別の記事で…)

結果的には中学生の3年間もとてつもなく長くて、毎年2月頃の卒業シーズンになると、地獄から抜け出せる卒業生を、それはそれは羨ましく思ったものです。

 

そしてついに!私にも中学校3年間がついに終わる日が来ます。

 

「うーーーーおーーー終わったーーー!!」

地獄からの脱出!

そう思いました。

 

「これからいよいよ、外向き教として飛躍するぞーー!」(外向き教としてっていうのが何だかとても不穏な響き…)

なんてウキウキ、ソワソワしながら。

 

そして高校生になった時。

私の糸は完全に切れてしまいました。(やっぱり)

 

中学3年間まではなんとか耐えたけど、高校でも学校への拒否感は変わらなかったのです。(そりゃそうです。外向き教のままですからね)

 

「あ、もう無理」

 

義務教育じゃない。

ここはもう義務じゃないんだ。

今日は休もう。

 

今まで何とか固めてきたヨロイが、ボロボロと崩れていくようでした。

 

当時の私のことを後に父は

「あのまま高校に行かせていたら、この子は精神が壊れてしまいそうだ」というくらい不安定だったそうです。

 

そんな私の「心」を心配して、高校以外の道は無いものかと、父が色々と調べてくれ、大検(当時の大学入学資格検定)にたどり着くことができました。

 

高校は入学してから半年で退学することに。

退学した時に感じたのは、身体中に染み渡る安堵と、高校の学費を払ってもらった親への申し訳なさでした。

 

今までヨロイ作りを頑張って、両親を安心させたい、喜んでもらいたい一心だったのに、私が不甲斐ないせいで高校が続かなかった。

外向き教的には、1番の不義理だ。

(せっかく高校を辞めたのに、まだ外向き教な私)

 

次は頑張ろう。

大検は17歳の夏に全部取り終え、みんなが高校3年生になるのを待って、大学の受験をしました。

 

なかなか抜けない〇〇教の中毒性

 

どんな進路を選ぼうかを考えていた時、

それまで唯一続けていたピアノの恩師から言葉をもらいます。

 

「あなたなら音大に行けるわよ」

友だちが高校3年生を終えるまで、私には1年半という待機期間がありました。

その間に自分なりに進路を考えていて、その時興味のあった「ネイリスト」の専門学校へ行こうかと真剣に考えていたんです。

 

そんな時の恩師の言葉に、両親が「ネイルよりピアノの方良いんじゃない?」と思っているのがヒシヒシと伝わってきました。

 

私自信も、

「目指すだけの素質があると認めてもらえたのだから…やらなくちゃいけないかな。高校を辞めてるから、まだ両親を安心させられてないし。まぁ、ピアノを続けてきたのは確かだし。」

(分かりますか?ズブズブの外向き教を引きずってる感じ)

 

またしても私は、自分の「本当はこれがやってみたい」よりも「周りの望む運命」を選んでしまいます!

 

外向き教が正しいと、まだ思い込んでいたから。

 

当時の私は、

よく分からない苦痛からは抜けだしたいんだけれど、とにかく両親に認めてもらいたいし、安心させたい。

が強くて、「自分の気持ちより、親の気持ち」が全てでした。

 

その後結果的に音大には入りましたが、その後の人生で音楽の道には進むことはありませんでした。

 

大学卒業後も10年間彷徨った結果

 

またしても置いてきぼりになった「自分の本当の気持ち」。

 

5歳で②を選んで外向き教になってから、一度も私に気がついてもらえない「私の本音」

 

30代半ばになってようやく、

「私の本音」を無視して「外向き教」に支配されるのがどれほどの罠だったかが、理解できるようになりました。

 

自分の本音に耳を傾けないで、世の中の「外向き教」の当たり前にばかり耳を傾けるのはとーーっても危険です。

 

自分の道が全く見えなくなるから。

 

外側に敷かれた道しか見えなくなるから。

 

それだと「私の本音」は一生満足しないから。

 

私の場合は衰弱しきった「私の本音」が

ねーねー、何か方向が違う気がするよ

と訴え続けていてくれていたのが幸いでした。

 

その声は小さすぎて聞き取れなかったから、約30年も気が付かなかったんだけど、でも確かにいつも私の心の片隅では響き続けていて、

ずっと「モヤモヤ」という形で「それは本音じゃないよ」と伝えてくれていました。

 

でも「モヤモヤ」がメッセージだなんて、知らなかったんです!

 

それは教わらなかった。いや、忘れてしまっていた。

 

学校でも

親からも

世の中からも

地球からも

消してしまっていた。

 

当時は

モヤモヤが生まれたら、モヤモヤしなくなるまで努力する。

ということばかり鍛えてしまって

モヤモヤは「悪いこと」でそれが無くなるまで頑張らなきゃいけない。

 

それ一択を、救われる道だと信じていました。

 

  • ちゃんとした大学をでれば
  • ちゃんとした職につけば、
  • 世の中も両親も安心するだろう。

 

中学を脱出して、高校も脱出して、苦しんでたのに、

大学選びでも、社会人になった後も、またしても、「世の中の納得が全て」

 

おーーい、自分じゃないんかーーい!

 

外向き教のパワーは

とてつもなく大きかった…

 

ちゃんと就職をして安心した両親を見た時は、嬉しさより「やっと肩の荷が降りた」と思いました。

それと同時に、ようやく「学校」という檻から解放された

 

それは、ずっと追い求めていた1番幸せな状態のはず。

 

なのにダメなんです。

肝心の「自分の本音」のところがダメ。

 

1番幸せな状態になったはずなのに、外向き教に求められることは、30代になっても何一つ長く続きません。

 

私は結局、幼い頃から思い描いていた「幸せな自分の家族を作る」こと以外は、なーんにも続きませんでした。

 

幼い頃からおままごとが好きで、ジェニーちゃんごっこが好きで、いつか私もジェフ(ジェニーちゃんの彼)みたいなパートナーと、ジェニーちゃんみたいな温かい毎日を過ごすっ!

って、外向き教を信仰していた中でもこれだけは決めてたのです。

 

そして、外向き教の荒波の中にいても、その欲望だけは忘れてなくて、30代の私はタクヤというジェフのおかげで、その欲望を叶えることができました。

 

これだけは、20年以上、どんなに絶望しても諦めないで続けられたんです。

 

自分の本当の気持ち「本音教」で生きる

 

よく考えてみたら、ジェニーちゃんとジェフみたいな毎日は「私の本音」が欲していたものだったんですよ!!

多くの人が

  • 思考が現実化しないのは
  • 嫌われる勇気なんて持ち合わせてないのは
  • 7つの習慣じゃなくて、7つくらいの悪習慣しかないのは
  • 成功哲学じゃなくて失敗哲学を持ってるのは

 

外向き教に支配されているから。

だと思います。

 

私はたくさん自分を分析した結果、

と関心するようになりました。

 

人って「自分の本音」には、いくらでもエネルギーを注げる。

倒れても、何度でも起き上がれる。

 

これしか、願望実現の突破口は無いなと、今は思っています。

 

「何をやっても長く続かない」

あなたはどうですか?

何か続いていることがあって、それが本音教ではなく外向き教なことなのに続けてるんだとしたら…

 

 

それ、すごいことです!!

そしてそんなあなたなら、必ず自分の本音の部分も叶えられます!

 

 

「本音」で埋め尽くす毎日を作ろう

「本音教」の方で行こう

 

これが、30年前に親や社会から、私が教えて欲しかったこと

 

です♪

 

(まあ、30年経って、気がつけたから良いんだけどね。30年前に知ってたら、自分はどうしたのかな?ってたまに思うので、記事にしておきました。)

 

 

>『暮らし』をする。ただそれだけ。

『暮らし』をする。ただそれだけ。

「何をしてる人なの?」と聞かれたら、「暮らしをしてる」と答える。そんな人がいい。自分たちが住んでいる地球のことを知るのが楽しい。自分が持っている感情を味わうのが楽しい。火と水、空間、時間を使える地球は楽しい。思い出して生きる。地球に生まれてきたこと。人間に生まれてきたこと。そういう本当の自分を。

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