この記事は、2023年11月27日にハルカが日記に書いた内容です。
2023年の残りの期間は、魂の断捨離?がどれだけできるかがキーだっ!たらしいので、断捨離を進めたハルカです。
「物」「思い込み」「ネガティブ」「思い出」まで、何でも断捨離してみようと、今もトライしています。
断捨離を進める中で、ふと目に留まった1つの紙袋。
中身は、2015年からの日記帳や記録ノート でした。
つい中身を開いてみちゃったら、何だか面白いこと書いてるじゃん!
残していた理由は、思い出の塊だったし、ブログ記事のヒントになるかもという打算もあったからです。
せっかく書き溜めたから勿体ないかもしれないけれど、どうも紙として残していることにモヤモヤしました。
たぶんこれは「手放す」必要があるものだ。
という気持ちが、どんどん強くなっていきました。
そしてこの度、日本女性には合わないと言われる西洋的な目標達成型メソッドがビーーッシリ書き綴ってある記録ノートを手放して、さらに過去を手放してみよう決めることができたので、全てをシュレッダーにかけました。
一発目に自分の文字がシュレッドされて行くのを見た時は、胸の辺りがチクリと痛みました。
ところが、回数を重ねる毎にだんだんと冷静にくるくるシュレッドする私。
途中、これはさすがに置いておこうって部分が出てきては端によけるのですが、
シュレッドし続けるうちに
「これも別にいっか」と
さっきまでは未練タラタラだったノート もアッサリとシュレッドする私。
そしてどんどん気持ちに変化が生まれました。
ということで、この記事では、「過去の日記や記録ノート をシュレッダしながら気がついたこと」
について残しておこうと思います!
過去の日記をシュレッドしながら気がついたこと
・昔、おうちサロンを家でやる際に、劣等感があった。それは、良い家でやらなきゃいけない。オシャレでお手本な家じゃなきゃいけない。そういう「〜じゃなきゃ」の完璧さにとらわれていたから。
その劣等感を持っている限り、おうちサロンだけじゃなく、料理教室でも何でも、家での仕事は上手くいかない。
逆に、「どんなところでもできる」っていうオープンマインドを持っていれば、どんな時もどんな場所でも、できる。そして、劣等感とは違うフィールドで仕事ができる。
例えば、キッチンが無くても青空料理教室でいいんだし、 廊下しか場所がなくてもおうちサロンはできる! そんな感じ。
・「過去と、西洋的メソッドを手放す」と心の中で言いながらシュレッダを続けてたら、守り続けていた過去や西洋的メソッドを手放すのがどんどん気軽になってきた。 心が軽くなっていくのが感じられる。
・中学生くらいの頃?お父さんとお母さんに宛てて書いたメッセージカードの言葉と、自分の2015〜2019の言葉が変化してない。 ずっとずっと、同じところをグルグルしてたんだなぁ。
このグルグルを終わらせるには、今までと違う方向を選ぶしかない。
それは、受け入れて、手放す。っていう『アクション』かなと思う。
・途中から、こればっかりは捨てられないと握りしめていた手帳もシュレッドしてみようという気持ちが芽生えた。
なんで握りしめてたのか?
今度こそ失敗しないために?
↓
もう今後は頑張りすぎないと私は決めたんだから、今後これは参考にしないでしょ?
↓
よし、手放そう! (この後シュレッドできた)
・過去を全部手放しても大丈夫だなぁと感じるようになっていく。とても軽くて心地よい。
・あれ、何に囚われてたんだっけ?という感覚になっていく。
特に2018年の記録に自分が現れていた
・2018は、絵が豊富な手帳を書いていて、とてもオリジナル。ゆったり余裕もある感じがする。でも確か、この年はお金のことでは不安定で、決定的にムカついた事件もあった。それで「1円も貸さない、渡さないと私が決めた」ような出来事もあった。
→ここから他人のお金のことには一切関わらなくなれた。決めたらその通りになる。
・2018年も、西洋的な目標達成型メソッドのことをまとめ始める時期があって、それを始めると途端に私らしく無くなっている。
・2018は、外の世界じゃなく自分の内側の世界ことに集中していて楽しそう。 ただ、バズりたがっている。いや、バズらなきゃと思ってる? 実際にコバズリがあって舞い上がったこともあったな。
・2018は、結婚式のことがメインになってる。お客さんたちのことを考えよう考えようとしてるのに、内容は飾り付けや催しなど形式的なことばかり。『ちゃんとしなくちゃ』とか、エゴって感じかな? 結局、そんな結婚式はしないことになったけど。
まだまだ囚われてて不自由そう。
・幼少期の頃の絵と、今の絵、大した差は無いことが分かった!
時間軸は本当にない。ずっと同じ。ほとんど変わってない!驚
・時間軸は本当に無いなと感じ始めたので、順序立てる必要もないなと思い始めた。「順序立てたがる。」を手放そうと意図しながら、時系列を気にせずシュレッドしてみた。
・憧れの人の分析が、あまりにも効果を成してない。「私では無い別の誰か」は私には必要ない。
・美人な感じの絵を描こうとしてたけど、めーーっちゃ怖かった! 美人、も私には必要ない!
・今も昔も、マジで変わってない。ほんとにグルグルしてるだけだった。ガーン
・長所を書いた一覧があったんだけど、そんなものも別に必要ないなって感じ。 だって、存在自体が素晴らしいから。
・物質的な欲しいものは、ほとんど叶っていない。今見ても「要らないな」と思うものばっかり。これは誰の物欲を書いてんだ?世の中? たぶんなんだけど、物質的な欲望がほとんど無いんだな、私は。
・ありがとう日記の時が1番良い感じ。
未来の欲しいものリストになった途端に苦しそう。というか、物質的な欲望とか状況的な欲望についてが苦しそう。楽しいのは、みんなのこととか世の中のこととか、自分の心の持ちようについてとかかなぁ。例えば、人を癒す言葉が使える とかそういうの。
↓ありがとう日記についてはこの記事
・だんだんと、ビッシリ書き込んだノート部分に対して「なんだこれ、気持ち悪い」と思うようになってきた。これ、何の学びのやつ?ってドン引くようなノート もある。
なんか取り憑かれてる 笑
・比較的どの年の日記にも、最近楽しい!っていう時期があるみたい。 やっぱり楽しいと苦しいと色々混ざってるのは毎年同じ。
・自分はすごいエネルギーの塊なんだ。とか、「手放す」とか、「覚醒」とか、「子どもを極める」とか、この2〜3年で初めて耳にするようになった言葉を2017も使っている。
だけど当時は、自分を説得させる道具としての言葉だったり、ポッと自分から湧き出ただけで、言葉を上手く使いこなせなかった。
だから、6年間の色んな体験を経て「腑に落ちて」2023年にようやくその言葉たちが現象として現れるようになった感じ?
腑に落ちてるから、今度は「行動」や「現象」に移ってきてる感じ。
ふりかえり
今まで残しておいた記録を全部シュレッドして手放した結果、何だか不思議だけど過去をシュレッドした感覚になった。
そして、過去って頑なに握りしめていても何の役にも立たないなと思った。
「次の機会には失敗しないように」とか、その備える感覚こそ間違っている。
今が苦しいなら、過去の延長線上に作られた「今」は、それ、自分じゃない。
延長線上に「次こそは」なんていうのは無いんだ!
常に今が初めて。
そんな感覚を味わえたのかなと思った。
「手放す」は2023年の地球のテーマだったけれど、今後もどんどん手放してみようと思う。
ハルカ