「地球にやさしいこと」に「ケッ」って感じる時って、相当疲れてる。
疲れてるかどうかも分からないくらい疲れてて、その疲れを癒そうと、ご褒美スイーツを探し回り、高級レストランの予約が取りたくなり、海外旅行に行きたくなってた。
私自身も、もはや計測できないくらい疲れてた。人生と自分の身体に。
ところが空き家の再生を始めたら、敷地内にいる鳥とか虫も大切に思うようになって、雑草も家族みたいな気がしてきた。
畑の草取りをしていたら、無意識に両手を土にくっ付けて、ヒーリングを始めてた。
土が好きだわぁ*と感じて畑のことに興味を持ったら、雑穀や素敵なヒトたちに巡り合って、暮らしが癒されるようになった。
そしたら、
身体を優しく染み込むご飯を食べる機会が来て、今度はご飯に身体が癒された。
そこら辺ではじめてビックリした。
「あれ?今までってもしかして相当疲れてたんだ。え…30年以上もずっと…」
「農家のおばあちゃんがいつまでも元気なのはこれか…」
って。
「地球にやさしい」は結果的に自分の疲れを取ってくれた。
地球のためと思ってやったことなのに、自分のためになってる。
これこそが地球の本当の流れだ。
人のためにやることは、どこまで行っても「人のため」だけど、地球のためは行き着く先が「自分のため」なの。
すごい…
自分は地球なんだ。
自分を中心に地球は回って…とかっていうより、もう自分が地球そのもの。
だから「地球にやさしい」のは「自分にやさしい」そのもの。
地球に「ケッ」は、自分に「ケッ」ってやってるのと同じなんだ。
高級レストランにお金を使っても癒しの福利は働かないけど、地球にやさしさを払うと、払えば払うほど「癒し」の福利が入ってくる。
この投資効果に気がつくと、もう「地球にやさしい」が楽しくて仕方なくなる。
投資に例えるなら、そんな感じ?
とにかくさ、『地球にやさしく』って聞いて「けっ」って感じちゃったら、その時は相当疲れてる。
休もう。
話はそれからだ。
ハルカ